エミイル 第五編 女子教育 ソフイイ(エミールの妻)

第五編 女子教育 ソフイイ(エミールの妻)

○今青年期の終の舞台となつた。凡そ人一人なるは宜しくない。エミイルは妻

まする。而して其の妻はソフイイである。吾々は先づソフイイが如何なる婦で

るかを知らなければならぬ。さうすればソフイイが何処にゐるか大抵見書がつく

である。然しソフイイが見出されたからとて、まだ話が終るのではなけも

私はロツクの云へる如く、此の若き紳士は今や婦する為に、世の多くの女交

さすべきものとは思はない。何故と云ふに、私はエミイルを紳士とし教育しる

ないからである。

 

○ソフイイ即ち婦人

 

〓イルが真の男子であると共にソフイイは真の掃人でなければならない。

し、吾々は生理的にも道徳的にも女性と男性との一致と相異とを知らねなら

さて、男と女とは類に於ては同じであるが性に於ては全然異なつてゐる。此の性の

差別はやがて道徳的性質の上にも影響を及ぼしてゐる。だから男女の優劣或は平等

を論ずるのは愚かな事である。男女はともに其の性質に従つて自然の目的に向ふの

が完全な事で、其の異同を比較して優劣を争ふべきものでは無い。完全な男と完

全な女は形に於ても相似るものではない。其の完全は大小多少を以て論ずべきもの

でない。男女は共に共通の目的を追求するけれども其の行く途は異つてゐる。従つ

て心の方面にも相異がある。即ち男は活動的で強固であり、女は受動的で弱い。女

は濫職であり、男は意志と体力とを要する。此の原理が一定すると、女は男を喜ば

せる為のものである事が明かになる。男も女を喜ばせるけれども男の男たる所以は

寧ろ其の力である。男は其の強さを自ら喜ぶ。此は愛の法則に先だてる自然の法則

である。

右に述べる通り男と女とは、其の性格や体格が違うから其の教育も亦同じではな

い。自然の示す処に従へば互に協力するが、然しそれは同じ仕事をすると云ふ意味

では無い。従つて仕事を指導する趣味も異つてゐる。吾々は今迄自然的男子を教育

したが、是れからは此の男にふさはしい女子の教育を考へるのである。ところが

女も亦常に自然の示すが如く教育されねばならない。諸君は女は男の持たぬ欠点を

持つてゐると云はれるけれ共、婦人にとつては其の欠顕が反つて美徳となるので

る。若し婦人に其の欠点即ち美徳が無かつたら万事男子は不都合を感ずる。

どこまでも男女の能力は違つてゐるけれ共、其の全量は平均してゐる。女は女

して優つてゐるが男としては劣つてゐる。だから女は女たる特性をおし立てゝ、行

けば立派な事であるが、男の権威を奪はうとすると間違つて了ふ。然し女は全く毎

知に育てられて只家政の事ばかりして居ればそれでよいと云ふのでは無い。男は一

の優しい妙味や愛情を棄てる事は出来ない。男は妻を奴妙同様にして其の智性感性

を妨ぐるものでは無い。夫は其の妻を人形の様にして満足するものでは無い。殊に

に温職精確な心を与へた自然は女をさうするものとは命じてゐない。自然は婦

人に自ら考へ、自ら判断し、愛し、知識を得、身体の様に心をも養ふことを命じて

るる女は様々の事を心得べきであるが、只知つてよいもの計を学ぶべきである。女

には其の独特の職分から考へても、其の性向を観察しても、又其の義務を思つても

婦人相当の教育がある。即ち女の教育は男子に関係が無ければならぬ。男を喜ばせ

たり、男に実盆を与へたり、男に愛せられたり、敬せられたり、男の幼きを教育し

〓り、男の成長するのを注意したり、男と相談し、男を慰め、人生を美はしく喜ば

しくするこそ女の務である。此の原則を離れれば離れる程、女は女の目的に遠ざか

つて、其の結果は女自身の幸福にもならず、又男の幸福にもならない。

女の児は産れて、幾年も経たない頃から着物の美を愛する。只美しいのも好むば

かりでなく、美しいと思はれようとする。斯う云ふ心の起つた事は其のいぢらしい

風釆で分る。此の原因は何から来てもよいが、女にとつて斯う云ふ考が起るのはよ

い事で、よく之を教育する事は大切な事である。身体は心よりも発達が早いから

羽一になすべき教育は身体上の教育である。男には体力を発達させ、女には優美

姿を発達させなければならぬ。

女が余り弱いと、男も弱くなる。女は男程に強くなくてもよいが、強い男を生お

だけの強さは持つてゐなければならぬ。此の点になると粗食はしても、様々な自

な運動をして、野外や庭内で走り廻つて遊ぶ事の出来る寺院学校や、寄宿学校は索

庭よりも遥かに勝つて居る。

男の児と女の児には、共通の遊戯があるが又違つた個人的趣味をも持つてゐる

男の児は運動や、廃ぎが好きで、太鼓を叩いたり、独楽を廻したり、車を転ばすが

女の児は鏡や玉や布片や、特に人形を好む。人形は女児特有の玩具で、之は即ち

児の本領的傾向が、婦人独得の仕事を示すのである。人を喜ばせる術は個人の装

と云ふ身体上の基礎を有するもので、此の身体を飾る術は、子供のみ練習する事ぶ

出来るものである。

準備さへ出来れば、裁縫も刺〓も、レース編も自ら出来る様になる。掛雌条は子

供にとつてはさう容易では無い。子供は室内の装飾を喜ぶ程に発達してるないから

そんなことは大人の判断にまかせる。掛斐条は大人の婦人のする事で、女の児はま

だ喜んでやらない。

女の児には、野を云つて始終仕事をさせて置かねばならぬ。怠惰と我儘とは女の

児にとつて大変危険な事であつて、一度萌したら仲々治らない。女の児は事々に注

意深く、且勤勉でなくてはならぬが、此れ計でなく、小さい時から束縛の下に置か

なければならない。束縛は女にとつて免るべからざる運命で、之から離れようとす

れば、一〓激しい苦に遇ふのである。女は一生涯厳しい一種の束縛、即ち礼法に従

はなければならぬから、早くから此の束縛に償れて、何事も別に束縛と思はない様

に仕向けねばならぬ。又他人の意志に従ふ為に、自分勝手な心を抑へ附ける習慣を

套はなくてはならぬ。現代の人は馬鹿らしい程無定見だから、淑女の生涯は克己ど

ころか、全く之と正反対な事ばかりして、男子の上に大なる弊害をぶつかけてゐる。

斯う云ふ理で、女には自由が少ないし、又なかるべき筈である。然るに女は自由

を許されると之を濫用する。女の児は何事も極端に走つて、遊楽に耽る事は男の児

よりも甚だしい。之は女児独特の悪い性質だから矯正しなければならぬ。我が儘な

彼等は、今日心に思ふてゐる事も明日になると早心掛けなくなる。女の児に趣味の

定まらないのは、強い感情と其の弊害等しく、其の源も同じである。女の児に快活、

喜悦、物騒ぎ、遊戯を禁じてはならないが、一事から他事へ直ぐ気の移つて行く事

〓厳禁しなければならぬ。一生涯を通じて、女には束縛を〓したと云ふ考を起さし

てはならぬ。束縛に慣れると、男には一生欠くべからざる従順の心が出来る。女の

優しくして居るのは男の為ではなく自分の為である。男があまり優しければ女は我

が儘になる。けれ共夫たるものに獣類根性の無い以上は妻の柔和は、よく夫を改め

させ早晩男に打ち勝つ事が出来る

女は流暢な舌を持つて居る。女は男よりも早くから、なだらかに喜ばしげに語ろ

にから女は暁舌り過ぎると云つて咎められるが、私は決して咎めず、反つて奨めて

やる女は口も目も動かして語る。男は知つてゐる処を語るが、女は喜ばしい事を語

る。女は語るに知識を以てし、男は語るに趣味を以てする。男は其の題目を有盆な

事柄にとり男は喜ばしい事に題目をとる。然も男女の談話に於ける唯一の共通点は

語る事の真理たるべき事である。

女は与論に支配され、其の宗教は権威に支配される。で娘は母の宗教に従ひ、妻

は夫の宗教に従はなけれはならぬ。例へ其の宗教が違つて居てもよい。母や娘が自

然の法則に従ふて己を捧ぐる順良の徳は、神の前に誤の罪を拭ひ去るに足る。若し

女が自ら判断に苦しむならば夫の判断に従はなければならぬ。

女は信仰箇条を自ら造り出す事が出来ないから、之を良心や理性の範囲内に保つ

がな。様々な外部の感化に依つて、処から被処へ追ひ廻され

〓とりに浮して、真理共ものには達し得ない事が多い而い領、

〓て、徳と〓を前よのには達し得ない事が多い。而して何事にも極端

〓て、信仰を問和する事が来い。けれ共れをな

りではなく、男性の成候のたりれ共それは中庸を得ない女性の罪

かり?く、性の処蒙の持方のよく無いのにも原因する。道を御の理

を〓し、梅校の怖ろしさには、梅校其のものが暴郡であるかの業ふ。

が宗教に対して余り熱心になつたりしもぬ暴君であるかの様に思ふ。こ

るかにり熱ひになつり、時く冷波になつりまるあある。れ

で女には信仰の理由を説いて聞かせるよりも、ずるるりする所以である。それ

【がで由を説いて脚かせるよりも、信ずるものを明かに話し即かせ

のが肝要である。

ケに義務の知織を与へる理性はそんなに複雑なものではない。特

の義務知るしめる理性は、頗る点をのある。夫ずると

〔左に対する和と注意とはの情から起る自然のものであるる

本の亡な限りは、誠実を保つ内心の導きに従ひ自分の義あ認

は居られない。

世間は女の書物である。之を読んで悪るいと思つたら其は女の誤であり情熱に目

眩まされたのである。私は世の所謂賢母とも云ふべきものが、其の娘を田舎から円

里へ連れて来て、危険な堕落した都の様を見せてゐるのを見ると黙つてゐられない

けれ共若し娘がよい教育を受けて居つたら、這麼汚ない都の様を見ても更に害には

ならない。正しいものに対する趣味や、感じや、愛情のある人は世の弊風に誘惑さ

れないのである。現代の様に堕落した世の中にも、まだ??虚飾といふ偶像の前に

膝を屈せず、虚栄の崇拝を賤しむ立派な婦人が何人も居るから、吾々はまだ絶望し

ない。人に対して高ぶる女は愚かな女で、造り飾らない女は賢い女である。

ソフイイは血統がよい。又良い性質を具へてゐる。其の心は正格と云ふよりは深

酷である。其の気質は爽かで執こくない。其の姿は質素で気持がよい。ソフイイの

欠いてゐるよい性質を他の女が持つてゐる事はあるけれ共、幸福な品性を造るにソ

フイイ程よい性質を持つたものはない。ソフイイは美人ではない。けれ共ソフイー

の前に来る男はソフイイより以上に美しい女を思はない。ソフイイは見れば見る〓

美しくなる。ソフイイは人の心を眩まさないけれ共、よく人を迷はす。で何故さ

であるかは誰も知らない。ソフイイは華な服装を悪んで、単純で上品な着物を好ん

て着る。ソライイは何慶色が流行するかは知らないけれ共自分に適当なものを好ん

で着る。ソフイイは自分のなまめかしさを隠してゐるけれ共、何となく奥宋しい

ソフイイの心は華美ではないが悦ばしい。深刻ではないが健気である。とり出で

ゝ人と変つて居ないから人から殊更に噂さるゝ事が無い。ソフイイは自分に話し

ける人々を喜ばす心術を知つてゐる。ソフイイは生れつきお転婆である。子供の時

は放任されてゐたけれ共、少しづゝ其そゝつかしいのを矯正して来た。でもソフ・

イは年頃になる迄には忝々しくしとやかになつた。『あらツ』とソフイイは自分の

はづみな調子に直ぐと気が附くと黙つて顔を赤らめる。其の様子は如何にも可愛し

しい

ソフイイの宗教は理に適つて、単純である。ソフイイは自分の一生涯は神に捧け

たもので只善をなすべきものである事を知つてゐる。ソフイイは徳を愛する。しか

も此の愛は、ソフイイの全行為を支配する熱情となつた。ソフイイは真の幸福に至

る唯一の途は美徳であると思つてゐる。ソフイイは死ぬるまで貞淑温良である。〓

フイイは心冷かに虚栄心を以つて人に媚びたり、喜悦よりは華侈を好み、快楽より

は〓楽を求むる魔力のあるフランス女では無い。ソフイイは明日をも待たずに移り

行く世の果敢なき誉を得るよりも、何時迄も変らない一人の男子を喜ばせたいと思

つてゐる。

ソフイイは男女の権利義務をも教へられてゐる。ソフイイは男子の欠点も女子の

罪悪も知つてゐる。又男子の善性美徳をも知つてゐる。ソフイイの理想として居ろ

女程気高い美徳の女は誰も描く事は出来ないが、ソフイイは又、美徳の男子、真に

価値ある男子をもつと切に想つて居る。ソフイイは自分が斯う云ふ男の為に生れて

ゐる事や、斯う云ふ男子にふさはしいものである事、さう云ふ男子から幸福にして

貰へる事又自分もさう云ふ人を幸福にして上げる事の出来るのを信じてゐる。ソァ

イイは其の人に会つて見れば必ず分ると信じてゐる。だが其の人を見出すのが仲々

の骨折である。

ソフイイは婦人達の中にあつて、しとやかで忝々しい計ではなく、已に結婚した

男子、或は年長の人々にあつてもさうである。同じ年頃の男子に対してはさうでは

ない。彼等に敬せらるゝ為めには別な態度をとる。ソフイイは自分にふさはしい

慎深い素振りを棄てない。若し男子が慎深いならば、ソフイイは青春の楽しい知

しみを彼等とつゞける、そして無邪気な話をしては喜び、真面目な話になると有盆

な事を学ぶ。若し話が無趣味になつたら直ぐにお終ひにする。男子が言葉巧みに媚

びるのは、失礼な事として、ソフイイは之を矢舞に賤しめる。ソフイイは自分の求

めて居る男子は、遺慶事を云はない事を知つてゐる。そしてソフイイは慕はしい里

子の品性を心の底に深く刻みつけて居るから、さう云ふ品性で無い振舞を他の男か

ら受くるのは厭で堪らない。ソフイイは女性の権利に就て高尚な意見を抱いてゐる

又清い感情の湧き出づる高尚な霊魂を持つてゐる。ソフイイは自分を喜ばせようと

して厭な事を云ふ人を怒を以つて待遇はしないけれ共、恥かゝせる様な賛辞を呈し

たり、知らぬ顔になりすましてゐる。ソフイイは馬鹿な小才子の玩弄物になる為に

教育されたのでは無い。

ソフイイは盆々智慧が成熟して、最早凡ての点に於て、二十歳位の婦人に発育し

た。実はもだ十五歳であるけれ共、もう子供同様に取扱つてはならない、両親はソ

フイイに、じつとして居られない青春のそわ??しさの現れて来たことを認めたら、

亘ぐと其の傾向の進まない内に準備をしなければならぬ。即語るには優しい道理に

適つた事を教へなければれらぬ。且年と晶性とに相応しい事を話さなければならぬ

さて自然の儘では、人は思素する事が出来ない。思索するには他の技衛を学ふと等

しく練習しなければならぬ。しかも甚だ六ケしい練習である。男にも女にも各々二

種の異つた等級がある。即ち考へる性と考へない性である。そこで考へる性の男子

は考へない性の女子と結婚してはよくない、さう云ふ女と結婚すれば男は自分の者

〓妻に配け与ふる事が出来ず、為に家庭生活の真の喜を得る事が出来ないからであ

る。婦人にして思考の力が無かつたら、何うして自分の子供を教育するだらう、又

何うして子供の為に最もよい事を発見する事が出来よう。どうして自分の知らない

美徳に子供を導いたり自分の知らない事を教へたりする事が出来よう。斯う云ふ女

は自分の子供をあやかしたり、威嚇したりして、吾が儘息子をつくつたり、臆病鳥

子をつくつたりするより外に教育の途を知らない。だから教育ある人が教育の無い

女を娶つたり、教育のされない様な等級の女と結婚してはよくない、然し学問があ

り才があつて、家庭を図書館か何ぞの様にして何も彼が一人で切り廻す様な女より

も、粗朴に育てられた、単純な娘の方がどれ程よいやら分らない。立派な婦人は決

して虚勢を張らない。その人に才芸があるなら、仮さうに見せかける様な馬鹿らし

い事はしない。女の栄誉は夫の尊い処にある。女の楽みは家庭の幸福の中にある。

女の容貌風釆は結婚の第一義のものでは無い。いかにも最初に目につくものであ

るが、実は下らぬものである。結婚するには美人を求むべきでは無い。暫く経つと

美貌の観念は無くなつて仕舞ふ。六週間もすればもう美貌といふ事は思はなくなろ

が、美貌から来る危険は一生涯つきまとふものである。若し其の美人にして天使で

無かつたら、その夫程悲惨なものは無い。吾々は何事にも中庸を求めたい。女でも

十人並の女がよい。恋を起させる顔よりも、深切な感じを与へる顔、気持のよい引

力のある顔の方がよい。心の美は顔の美の様に消え失せるものでない。結婚後三十

年経つても、善良な婦人の美妙な心は結婦当座と等しく夫を楽ませる。

私がソフイイを選んで教育したのも茲に理由がある。ソフイイはエミイルに最も

〓した女である。ソフイイはエこイルの真の住偶である。ソフイイは一寸見たば

りでは著しい印象を与へる婦人ではない。けれども、日に日に清新な妙味を現はょ

婦人である。ソフイイの感化は自然々々に現はれる。従つて彼女と交際して初めて

其れに気が附くのである。特にソフイイの主人は其を切に感ずるであらう。

きてエミイルは今迄、他の生物と自分との身体〓関係を学び、人と吾との道徳〓

関係を学んだが、更に之から同胞国民の政治的関係を学ばなくてはならぬ。彼が

の目的を達するには先づ一般の政治の性質及び様々の政治を研究し、其の後被が

配せられる特殊の政治を研究しなければならない。

 

-エミイル終-